次世代への助言

チア・シード

テモテ二3:14-17   


迫害が現にあります。けれども、学んで確信したところに留まっていなさい。幼い頃から聖書に親しんできたではありませんか。分かっているでしょう。聖書によって、私たちはキリスト・イエスにおける信仰を通して救いへと導く知恵を与えられるのです。今日は、教会組織がいくらかでき始めた時期に告げられたこのことに、思いを馳せることにします。
 
親の宗教を、子も信じるようになる。生活の中で見られる必定のルールのようにさえ見えかねません。子はこの世界に生まれとき、予め何か信じる宗教を決めて生まれてきたものではないでしょう。但し、何かを信じるというその精神の形式を有して、人たる能力の性質のように伴って生まれてくるという図式は否めないかもしれません。
 
信じるということのための形式はできているが、内容は決定されていないとなると、それは新品のパソコンのようなイメージで捉えられるかもしれません。OSは入っていますが、その後様々なソフトウェアがインストールされていくことで、個性あるパソコンへと成長していくのです。初期化されていた子どもには、親からの情報がきっと入るでしょう。
 
親の生活様式や生活感、そして神概念も、そのようにして子どもに自然にインストールされます。テモテにもそのようなプログラムのような神についての考え方が具えられることとなりました。生まれながらにしてキリスト信仰という環境にあった人に対しては、このような励まし方が有効であるかもしれないと思います。
 
他方、私のように、キリスト信仰という環境で育まれた経験のない者にとっては、一度インストールされていたものを、いわばアンインストールしなければなりません。それまでの人生は、全く違う精神で生きてきたのを打ち消すために苦労する場合がありますし、またひょいとかつての精神が亡霊のように蘇ることがあるかもしれません。
 
テモテの場合には、クリスチャン2世あるいは3世として牧職に就くという、今ありがちな信仰継承のパターンの先陣を進んでいたようなものでした。それはそれで悩みがあるとも言われます。却って反抗心が芽生え、一度教会を離れる、といった話をあちこちから耳にします。そのようなことは、この古代にもきっとあったに違いありません。
 
だからこそ、ここにこのアドバイスがあるのではないでしょうか。テモテ個人への助言でしかないなら、何もこんな回りくどい方法をとる必要はなかったと思われます。若い2世が順調なら、もっと王道の信仰教育を推し進めばよいのです。こういうわけで、聖書の言葉は、類似の環境にある若い次の世代のために、今も生きて働く言葉となるのです。


Takapan
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