若い伝道者を力づける霊
チア・シード
テモテ二1:6-10
テモテの「祖母ロイスと母エウニケ」(1:5)にまず信仰が与えられ、それがテモテにも及んだ、ということが明らかにされています。何気ない叙述のようですが、祖母がいるテモテ自信の年齢に思いを馳せると、子どもではないが若年であろうことが想像されます。それを見守り、励ますパウロの目線も考えてみたいと思います。
パウロはテモテに按手、つまり「手を置いた」ことで、「神の賜物」を与えています。それがいま、くすぶっているようです。「臆病」になっているのです。どうかそこに「力と愛と思慮」を与えられたらいいと願っていることになります。「主の囚人」であるパウロと「苦しみを共にして」ほしい、というのです。それは「福音のため」です。
神の「計画と恵み」があったからこそ、伝道者たちは救われ、「聖なる招きによって呼び出」されました。臆病になっている必要はないし、もはや臆病であることなどできないはずです。人間的には、そんな弱気でどうする、しっかりしろ、などと言いたくなるかもしれません。でもここでは「臆病の霊」「力と愛と思慮の霊」という言い方が特徴的です。
気持ちひとつにしても、「霊」の力に左右されていることが示されています。そう言われたテモテも、強く励まされたのではないでしょうか。意地悪く、この手紙を創作だとしても、教会の若い伝道者への、相応しいアドバイスとなっていることは確かでしょう。神は霊を与えて下さったではないか。「主を証し」しよう。神は気味を選んで立てたのだよ。
キリスト・イエスは、人として現れる前から、この神の計画の中にあったのですが、いまや姿をとって現れたことで、誰にもはっきり示されたと言えるでしょう。「キリストは死を無力にし、福音によって命と不死とを明らかに示してくださいました」とは、力強い福音です。これを背負う若い伝道者を、きっと勇気づけてくれることでしょう。