謎は謎のまま

チア・シード

サムエル下6:1-15   


ダビデの全盛期と言えたかもしれません。宿敵ペリシテ人からついに神の箱を奪い返したのです。戦いに勝利し、盛大なセレモニーが行われました。ケルビムの上に坐す万軍の主という名で飾られる神の箱は、イスラエルの象徴でした。保管されていた場所から運び出し、ダビデの町、エルサレムへ迎え入れる時が来たのです。
 
三万の人間を集めたといいますから、如何に大きなイベントであったかが分かります。この歓喜の渦の中、一つの不吉な事件が起こります。賑やかな演奏とともに、神の箱は車に載せられ、牛の力で運ばれていました。ナコンの麦打ち場で牛がよろめきます。これが引き金となったのですが、そもそも牛を使うのはイスラエルの掟でなかった可能性もありました。
 
ペリシテ人や土着の風習であるかもしれませんが、とにかく神の箱がぐらつき、アビナダブの子のひとりがそれを支えようと動いたのです。アビナダブとは誰でしょう。かつて神の箱を守っていたエルアザルの父のことでしょうか。ここに記されたウザとアフヨはいまその家の顔だったのでしょうか。もしアフヨが弟なら、神の箱の前を歩んでいたとされています。
 
ウザは傾いた神の箱に手を伸ばして箱を押さえました。神の箱には、安易に手を触れてはならないとされています。理由はそれしか考えられません。これだけですべてを理解するよりほかありません。ほかには描写されないからです。主はこのウザに怒りを発し、ウザはその場で打たれて死にました。さらにダビデまでこれに怒ったとしています。
 
この事件のためにこの地はペレツ・ウザと名づけられたという、命名譚が記されていますから、そのためにウザが死んだとまで言えそうですが、果たして何がいけなかったのか、私たちの目には理解しづらいものがあります。何故ウザはだめだったのか、説明を聞くことがありますが、根拠に薄い、あるいは決定的ではない、そんな気がします。
 
この出来事で、3か月の間神の箱は歩みを止め、ガト人オベド・エドムの家に安置され、その一家は祝福されたと記録されています。ダビデはこれを喜び、ようやくダビデの町に神の箱を運び入れました。主の箱は今度は担がれています。なおさらウザのことが分からなくなります。六歩進んでいけにえを献げたのは、何かしら流儀があったのでしょうか。
 
ダビデは、祭司の衣であるエフォドを着て踊っています。これをミカルは蔑視し、裸踊りだとけなしましたが、その故にミカルは子を産むことがなかったとも言われています。歴代誌は、ユダ王国の拙い点は省かれるので、この出来事は書かれず、他の様子が詳しく記されています。伝承の謎が私たちの目と手を止めます。謎は謎として、心に留めておきましょう。


Takapan
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