ダビデの勝利の歌

チア・シード

サムエル下22:20-51   


これは「主がダビデをすべての敵の手、またサウルの手から助け出した日、彼はこの歌の言葉を主に語った」(22:1)と説明される詩です。詩編18:1も全く同じことが記されています。「指揮者によって。主の僕ダビデの詩。」(詩編18:1)と付け加えがあるほか、冒頭の行が異なるなど、いくらかの違いは見られるようですが、基本的に同じ詩です。
 
敵を、またサウルを恐れていた苦悩から辿り、主の道に救いを見出してゆくプロセスも見て取れます。今はその後半が選ばれました。「主よ、あなたは私の灯」から味わってゆきます。「神、その道は完全」と言い、この主のみが神であると言います。「主」が固有名詞となっています。主により私の道は「完全なもの」とされるのです。
 
ダビデは戦略の天才でありましたが、それを教え導いたのは、正に主なる神です。「私の歩幅」は拡げてもらい、「くるぶしは揺らぐことがなかった」というように、どこまでも「道」がモチーフとなり、イメージされています。ダビデの「戦う力」もまた、主から与えられたものです。「立ち向かう者」は、もはや敵とならぬほどに弱いものです。
 
それは敵を見下しているという意味ではなくて、ダビデには常に主が共にいてくださる、ということを示しているのです。「主は生きておられる」という宣言が強い力を伝えます。「この神は私に報復を許す方」であり、「もろもろの民を私に従わせる方」でもあります。ダビデが如何に敵を大きな存在とて見ていたか、を逆に示すようなものだと私は感じます。
 
今ダビデは「すべての敵の手、またサウルの手から助け出」(詩編18:1)されたのです。苦悩から抜け出て、勝利を与えられたのです。この最も喜び溢れる日だからこそ、敵に対する勝利宣言を高らかに歌います。今こそ御名をほめ歌い、慈しみを施す方であると主を称えています。私たちも、きっと「主の日」に、このように称え歌うのでしょう。


Takapan
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