いわゆる申命記改革について

チア・シード

列王記下22:8-13   


ヨシヤが、幼くしてユダの王に就いたとき、ユダは変わりました。北イスラエルの王が、部下の謀反により、長くて数代の血筋しか保てなかったのと対称的に、南ユダは、ダビデの血統が守られてゆきます。ヨシヤの父アモンが若くして殺されたときも、小さなヨシヤが継ぐに至り、伝統は守られました。アモン24歳の子が8歳というのは驚異ですが。
 
このヨシヤ王には、それを支える大祭司や書記官に恵まれていました。王が25歳ほどの時でしょうか、大祭司の進言からと思われますが、エルサレム神殿の改修工事が始まります。すると、神殿で律法の書が見つかったといいます。うまくできすぎていますが、そもそも神殿がきちんと管理されていなかったことに基づくのだ、ともいえます。
 
教会にも、古き良き資料がきっと潜んでいることでしょう。アーカイブへの視点が必要ではないでしょうか。この発見については、多くの人物の名が連ねられています。一定の記録があったのでしょう。この列王記自体が、こうして古き資料として見出されて、今日ここにあるのですから、これも考えれば不思議なことです。
 
王は、この主の律法に忠実であろうとしました。この後、女預言者フルダに伺い、フルダはヨシヤ王の幸いを告げることになります。ユダ王国の信仰を建て直したとして、ヨシヤは歴史に名を刻むことになります。ところで、この時までモーセの律法の書が忘れ去られていた、と言うのなら、儀式もみな行われていなかったのでしょうか。
 
法的秩序にしても、律法とは無縁のものだったのかもしれません。いわゆる申命記改革といわれる一連の事件がここに始まりますが、新しい申命記律法の開始が描かれているようにも思われます。イスラエルの歴史と史料の関係は、興味深く思います。但し、私たちがどう解釈しようと、神はその真実さを以て、人間を導くことを止めはしませんでした。


Takapan
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