幕屋のコロケーション

チア・シード

コリント二5:1-5   


幕屋とは、イスラエルの古来の神殿のことです。出エジプトの旅で、人々が野営のようなテント生活をしていたのが大元なのでしょうが、カナンに定着してからも、神殿という形で幕屋は聖なるものとして馴染みがあったものと思われます。ソロモンが、木造であろう建築物としての神殿に踏み込むまで、神と出会う場は幕屋神殿であったのでしょう。
 
私たちから、それは歴史的にも文化的にも、なんと遠いものなのでしょう。この幕屋を鍵として、神に生かされる生き方を喩えられてきても、ピンとこないのではないでしょうか。パウロの伝えたい意図がどれほどギリシア文化の大都市コリントの人々に浸透したのか不明です。伝えるほうにとっては常識でも、伝えられるほうにとっては未知の分野であるのならば。
 
だが待てよ。パウロの時代もどうだったでしょうか。神殿は、バビロン捕囚から戻り小規模に復活し、また破壊されてはヘロデが再建したものがあったのでしょうが、すでに幕屋ではなかったはず。城壁郊外では幕屋暮らしの人々もいたでしょうし、パウロ自身、テント職人としての技術をもっていたらしいので、馴染みはあったから持ち出したのでしょうか。

テントは確かに需要はあったに違いないのですが、果たして城壁内の市民にとり、幕屋は周知のものであったのかどうか。少なくとも知識として知らない人はいない、というレベルでしょうか。私たちが現代都市生活をしている中で、茅葺きの屋根などという家の説明を受けて思い浮かべるくらいの感覚に近いものなのかもしれません。
 
この古い家屋たるテントは、私たちのこの世での肉体ですが、やがて永遠に堅固な造りの住みかが与えられる。これならまだよいのですが、パウロの言い方は不思議です。住みかを着るなどと言っています。日本語にこうしたコロケーションはありません。家を着る、たぶん原語の表現はそう訳すべきなのでしょうが、これは工夫が必要ではないでしょうか。
 
果たして幕屋を脱ぐとか住まいを着るとか、当時の人には通じたのでしょうか。だとしても、私たちの言葉や感覚では違和感を隠しきれません。「まとう」も変だし「囲まれる」あたりはどうでしょうか。神の霊という保証あるいは担保を得て、私たちは新しい永遠の値をもつ住まいに囲まれ住まう約束が与えられている、それが神の国だ、などと。


Takapan
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