ファリサイ派のパウロ

チア・シード

テサロニケ一4:1-6   


きょうだいを踏みつけたり、欺いたりしてはならない。パウロはテサロニケの教会を初期に創立し育てました。これを愛し、教会の人々もまたパウロに親しんでいたようです。この手紙は現存するパウロ書簡の中で最古のものと考えられており、終末の切迫感が激しかったことも見て取れます。でも、決して慌てふためいているわけではありません。
 
堅実に生きていくことをこうして改めて説き、奨励しているのです。神に喜んでいただくことへの関心が、確かな歩みへとつながってゆくべきことをパウロは語ります。主イエスにあって願うパウロ。主イエスによって生きる道を示されるべきです。もうこの世と同じ色に染まってはなりません。聖なる者でなければならない、そう強調するのです。
 
聖というのは、きよい意味でもありますが、この世から分かたれていることを意味します。となると、気になるのがファリサイ派。これも分離しているということをモットーとしていたのですが、なにぶんパウロはこのファリサイ派の高等教育を受け、エリートであったのだというではありませんか。イエスのまさに敵としてのファリサイ派であったのです。
 
パウロはかつて自分がファリサイ派であったというところから、自分の救いの証詞をします。けれども、ファリサイ派そのものを悪し様に批判するようなところはありません。確かにユダヤ人から命を狙われるなど困難はありましたが、ファリサイ派が悪いというような言い方を特にしないように見受けられます。このパウロの意識は実のところどうなのでしょうか。
 
たとえばここでいう聖の概念についても、ファリサイ派の理解や主張がどのように影響を与えているのか、といったことなど、もっとパウロとファリサイ派との関係については研究がなされて然るべきではないかという気がします。そもそもパウロはどう教育され、どのように自己を形成していったのか、それは後のパウロとも関係が深いのではないでしょうか。
 
キリスト教を広めたことで、いまの私たちが理解するキリスト教の思想をもつパウロとしてのみならず、初期の書簡だからこそ垣間見えるかもしれない、パウロに染みついていたスピリットを探してみる必要を感じるのですが、如何でしょうか。私たちは案外、その辺りについて情報をもたないのです。研究がないわけではないのですが。
 
現に歩んでいるテサロニケの人々の様子を評価し、パウロはさらにますます歩み続けよと励ましています。コリント教会などに比べても当然おおらかです。自らの覚るところでよいのだという明るさをここに見るような気がしますが、愛すべき仲間を得ているということは、なんと力強い気持ちになれ、安心できることなのだろうと思わされます。


Takapan
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