迫害と苦難に対して忍耐と信仰を

チア・シード

テサロニケ一1:1-12   


「働こうとしない者は、食べてはならない」(3:10)といいます。諺にすらなったフレーズが目立ちますが、「その日、主が来られるとき」への眼差しは少しもブレません。そこへの気持ちの焦りのようなものすら感じさせるが、浮き足立たず、落ち着いた生活をするべく忠告しています。それなのに、この手紙の冒頭は、余りに性急で切迫しています。
 
この書簡は、終末観の強い手紙です。現存するパウロの書簡のうち、最初のものだと言われています。しかし、パウロとシルワノとテモテの3人から、とありますから、パウロ個人の信仰ではないわけです。教会の人々のことを神に感謝する言葉から始まりますが、そこにはずいぶんと「迫害と苦難」があったようです。でも、それで終わりはしません。
 
「忍耐と信仰」が保たれていたことを称えます。慰めは、「神の判定」が、テサロニケの人々こそ「神の国にふさわしい者」とする点です。そのために、こうした苦しみがあったのです。これは、私たちも口にすることのあるフレーズであり、考え方です。その苦しみは、しかし神との真の出会いをもたらすことになると思われます。
 
神は、「あなたがたを苦しめている者には苦しみをもって報い、苦しめられているあなたがたには、私たちと共に安らぎをもって報いてくださる」のです。現場の切羽詰まった情況が窺えます。こうした力強い励ましが必要とされた時代があったのでしょう。そしてこれからも、それが必要になる時代が、きっとあるのです。
 
主イエスの業を挙げ神を称えるのは当然であるにしても、ここに置かれた祈りは、キリストを信じて苦しみを覚えている人々への祈りの一つの型となるでしょう。「招きにふさわしい者」とされ、善きことへ魂の底から向かってゆくように。それを通じて主イエスの名が崇められ、苦しむ教会の人々が「主にあって栄光を受けるようになる」ように、と。


Takapan
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