責任感のないサムエル

チア・シード

サムエル上8:4-18   


サムエルは晩年、二人の息子をさばきびとにしました。しかしその息子たちが、不正を犯していました。つまりさばきびととして役に立たず、むしろ害を与えていたということです。それでイスラエルの長老たちは集まってサムエルに訴えます。あの息子たちではだめだ。王を立ててくれ。ここまでは、至極尤もな展開であると言えるでしょう。
 
サムエルはどうしたか。王を立てよというこの要求が、悪だと判断したのです。預言者サムエルは民を悪と見ました。そこで主に祈ると、民に従えという返事。主は、これまでの歴史と同じことだとあっさり許します。どうせ今までも主を神とし王とすることに対して背を向けてきたイスラエルの民です。今また同様に神でなく王を人間の内に求めているだけだ、と。
 
少なくともサムエル自身を退けているのではないから安心せよ、との助け舟も出されたことで、サムエルはプライドを守られ、この後王を立てると大変なことになるぞと民を脅しにかかります。民はそれでも頑なに王を立てよと要求しますが、どんな重税や徴兵も構うものかと盲目になってしまったように王をひたすら求め続ける構図ができていくのです。
 
待てよ。ここで待ったをかけましょう。サムエルの息子たちが事の発端ではなかったのでしょうか。いまの日本なら、きっとサムエルにその教育管理の責任があるとしたでしょうが、当時はそのような考え方をしなかったのでしょうか。少なくともその師エリも、息子たちの呆れた振る舞いがあったため、こちらは不幸な最期を遂げています。
 
祭司エリを受け継いで指導者となったサムエルでしたが、同様の責任を免れるとは思えないのです。でもそのサムエルは、王を求めた民のほうを悪と見なしているというこの情景。これは何なのでしょうか。いや、もしかするとサムエルは、イスラエルの民と神との関係を憂えたのだ、とサムエルを弁護することもできるでしょう。
 
しかしエリのほうが自らの不備を冷静に認め、穏やかで潔かったようにも見えます。少年サムエルに寄せられた主によるエリの家への断罪をそのまま受け容れたのです。サムエルはいきなりおまえたちが悪いと腹を立て、自らを省みることがありませんでした。それでもなお、主の意思を伝えることを役割として働きを全うしたのです。


Takapan
たかぱんワイドのトップページにもどります