神殿建設

チア・シード

列王記上6:11-14   


ダビデは神殿建設の意志を示したが、主により止められました。後を継ぐソロモンの手にそれは委ねられました。ダビデ自身はその完成を見ることなく、世を去りました。しかし神は、このダビデの信仰をずっと大事にすることにしたのです。建設の経緯はかなり詳しく記述されています。これらをすべてフィクションとするわけにはゆかないでしょう。
 
ところがここにはなかなか詳しい記録が遺されています。きっと何らかの資料があって、それを基に記しているのでしょう。ここに一言、「ソロモンは神殿を建て、これを完成した」と宣べられています。公的な宣言です。その細かな寸法と景観がここから始まります。それは神殿を知る者と資料から、再構成ができるものであったかもしれません。
 
ただ、問題は主がソロモンに臨んだときの言葉です。「あなたが私の掟に従って歩み、私の法を行い、私のすべての戒めを守り、それらに従って歩むなら」という条件が付いています。これはソロモンの後半生を知る筆者からすれば、殆ど皮肉です。この王たちの記録は、これが如何にできなかったかを描きたかったわけです。
 
そのために、イスラエル民族はバビロン捕囚という結末を迎えます。これがもしもできていたなら、「私はイスラエルの人々のうちに住み、わが民イスラエルを見捨てたりはしない」と主は言うのですが、ついに見限ったというのが、その行き着くところでした。ソロモンにしてすでに、主の言葉に従って歩まなくなっていたからです。
 
けれども、捕囚の中にも光を与え、やがてカナンの地に再び植え戻し、救い主イエスを世の救いのために送ったのも、この主です。連なる王たちがちっとも従わずに蔑ろにし続けた、神である主なのです。その主が、見捨ててしまうことがなかったのです。ダビデに告げたソロモンとの約束を、善きにつけ悪しきにつけ、主は果たしてくださったのです。


Takapan
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