高き所と歴代誌

チア・シード

列王記上3:1-14   


ダビデ王朝にべったりの歴代誌と異なり、列王記は、記録に残ることについて忖度なく、ダビデやソロモンのことを描き遺します。エジプト王女を迎えたことの危険性も臭わせつつ、高き所で自らいけにえを献げ、香を焚いていたようなことも知らせます。こうしたことは他の王たちにおいては評価されないことだったように思います。
 
高き所で献げるということの具体的な形は、あまりよく分かりません。ただ、主に対して全き態度をとっているとはいえないものだったと思われます。それは高度として高いかどうかは別で、異教のいけにえ台のことを指していたか、偶像崇拝の中心を指していたか、そんなものであり、イスラエルの宗教改革はこれを度々破壊していました。
 
しかしソロモンは、その「最も重要な高き所」で、一千頭の焼き尽くすいけにえを献げました。するとその夜、ソロモンの夢の中に主が現れ、重大な祝福を与えたという記事がこれです。どうにも納得のいかない読者である私は、首を捻るばかりです。神のなすことに文句をつける気はありませんが、ここはどう読んでもすっきりしないのです。
 
その地はギブオン。ヨシュアの時代以来、イスラエルとはつかず離れずの関係にある町です。イスラエル民族の住まいではありません。サウルに酷い目に遭わされたことを、新しい王のダビデに訴えて、サウル家への復讐を申し出、ダビデに受理されています。そこでサウル一家を実に残酷な仕方で滅ぼしてゆくのですから、これも謎です。
 
ダビデ自身、このギブオンにある聖なる高台の主の幕屋に祭司たちを残していたわけで、息子のソロモンがこの高台を受け継いだ、という経緯も記録から分かります。夢の中では、ソロモンが願ったというよりも、主が主体となって、ソロモンに対して何か願ってみよ、と迫ります。ソロモンは賢明にも、自分の利益よりも民のための知恵を求めました。
 
これを主がいたく喜び、褒めます。そして求めた知恵のみならず、富も栄誉も与えた、という場面を今日取り上げました。ここはよく知られる箇所です。説教でも好意的に取り上げられます。ソロモンは夢から醒めた後、契約や会食といった儀礼を経て、この後に早速主から与えられたその知恵を以て、事件を解決したエピソードへと記事が流れて行きます。
 
歴代誌には、モーセ由来の神の幕屋があったということが、このギブオンについて書かれています(下1:3)。神の箱自体は、このときすでにエルサレムに運ばれていたといいます。ギブオンには青銅の祭壇があったことも、調べれば分かります。しかし列王記は、これらを全く語りません。語らないところに、何か意味があるのかもしれません。


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