主に選ばれて預言者となった

チア・シード

エレミヤ1:4-12   


何の前触れもありません。「主の言葉が私に臨んだ」とのみ記されています。エレミヤは言った、のように書かれるときと、主は私にこう言われる、のように書かれるときとがあります。また、「主の言葉がエレミヤに臨んだ」(14:1)と綴られることもあります。エレミヤ書の後半になると、エレミヤを客観視するような見方が多くなる傾向があります。
 
また、時系列が乱れに乱れているのも、エレミヤ書の特徴です。しかしさすがにこの1章は、始まりに相応しいと言えます。突如、エレミヤは主に選ばれます。「諸国民の預言者としたのだ」と断言されます。「生まれ出る前にあなたを聖別していた」とありますが、私たちもそうなのでしょうか。予定説なるものが現れる所以かもしれません。
 
しかし私たちの想像とは異なるのではないでしょうか。神の選びは、機械的な論理で定められたという意味とは違うように思われます。人間の想定する論理の決定と同じではないでしょう。それがどう違うかは説明できませんが。エレミヤは、これに抵抗します。「私はまだ若く/どう語ればよいのか分かりません」との弁明は、モーセを思い出させます。
 
しかし、主はそれを受け容れはしません。「『まだ若い』と言ってはならない」と戒め、「命じることをすべて語れ」と迫ります。誰が敵に回ろうとも、「恐れてはならない」のです。なぜなら「この私があなたと共にいて、救い出すから」です。そうしてエレミヤは、神の手をその口に受けます。「あなたの口に私の言葉を授けた」と唇は聖別されました。
 
エレミヤは神の権威によって預言者に任命されました。象徴的ですが「引き抜き、壊し、滅ぼし、破壊し/あるいは建て、植えるために」と預言の目的が並びます。これの一つひとつを具体化するのが、エレミヤ書なのです。「アーモンドの枝」の幻を見せ、「見張っている」ことの象徴とするところばかりが強調されますが、その前の箇所は如何でしょう。


Takapan
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