エリヤ、見限られる

チア・シード

列王記上19:9-18   


エリヤは孤独でした。イスラエルからバアルの祭司を滅ぼしましたが、女王イゼベルから命を狙われていると分かると、隠れ逃げるしかありませんでした。誰も味方についてはくれません。バアルなどの祭司を血に染めたというのはかなり残酷ですが、これはいま、一つの象徴として受け止めることにします。心の中の異教の要素をやっつけたのです。
 
主の栄光を輝かしい成功として表すことができました。神の敵を滅ぼし、この社会に人を惑わす者がいなくなりました。世のため人のため神のために、エリヤは尽力したのです。でも、このとき抑えこんだのは、悪の手下に過ぎません。その悪の頭イゼベルは健在でした。彼女には申し訳ないのですが、サタンは依然としてこうして君臨するものなのです。
 
このサタンが大いに怒ります。それでキリスト者は恐れて逃げるのです。勇敢に戦うことが知恵ありだとは限りません。三十六計逃げるにしかず。もうこの命は握りつぶされる、と怯えてもよいでしょう。人間個人が立ち向かって勝てるほど、柔な相手ではないのですから。いっそ苦しみなきままに、主にこの命を奪ってくれと願うほどのエリヤでした。
 
神は使いを送り、飲食を与えます。食べればそれなりに活力を得、うつの状態から脱するのでした。四十日四十夜たっぷりと歩いた末、神の山ホレブまで来ます。神を求めてそれでも歩くのでした。主が声をかけます。「あなたはここで何をしているのか」と。エリヤは応えます。主に仕えてきたのに命を狙われているのだ、と。
 
主は、出て来て主の前に立て、と命じます。主の問いかけが一つひとつ刺してきます。それでいながら、励まします。エリヤは、主の前とはどこなのか、戸惑います。風の中でも、地震の中でもなく、火の中ですらありませんでした。けれども主は、かすかにささやく声の中に、いました。「あなたはここで何をしているのか」同じ問いが投げかけられます。
 
しかしエリヤは、先ほどと同じ返答しかできませんでした。主は、ここへ逃げてきたその道を引き返せと命じます。エリヤは自分ではもはや進むべき道を見出すことができない、と主は判断したようです。おまえはもう預言者としてはやっていけない、というのでしょうか。新たな預言者エリシャへと引き継ぐように促すのでした。


Takapan
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