オバドヤ、エリヤに遭遇す

チア・シード

列王記上18:1-15   


バアルの預言者たちとの対決に至る場面が始まります。まずエリヤは、主の言葉を受けています。エリヤは、アハブ王のところに向かいます。そのアハブの宮廷長は、エリヤの味方でした。オバドヤという、主を恐れ敬う人物で、預言者たちが迫害されたときにかくまっていたのだと説明されています。なかなかできることではありません。
 
時はエリヤの預言通りに雨が降らず、イスラエルの産業は危機に陥っていました。アハブはオバドヤに、地方を見回りに行かせており、アハブとは別の道を視察に向かいます。そこでエリヤと出会うことになります。まるでエリヤが、オバドヤの来ることをすべてお見通しだったようにも読めます。エリヤは、アハブにとりお尋ね者でした。
 
エリヤはオバドヤに、自分がここにいることを王に知らせよと言いますが、オバドヤはエリヤを主が庇って隠すだろうから、王を連れてきてエリヤの姿が見えないと自分の命を危ないと恐れます。預言者をかくまっていたのも命がけだったでしょうから、ここで死ぬわけにはいかないと考えても頼みだったことでしょう。
 
エリヤは、今日アハブの前に気ならず姿を現すと宣言しまた。私たちが呼んでいるのは、その場面です。このオバドヤ、非常に先読みの深い人物のように見受けられます。預言者を匿ったのも、その先読み故であったとも解釈できます。アハブの妻イゼベルが主の預言者たちを迫害したとき、オバドヤは百人の預言者を二組に分けて洞穴に隠しました。
 
そしてパンと水を供給して養っていたというのですが、非常に具体的に描かれているのと、先の地の文とオバドヤの台詞と、二度にわたり詳細にこれを述べていますから、かなり史実かそれに近い記録を基にして描かれているのだろうと推測されます。この後の残虐な殺戮が味付けられた描写であったとしても、この匿い方には真実味があります。
 
オバドヤはアハブ王とは別の道を進んだ結果、エリヤに遭遇しました。アハブは政治的手腕は発揮できたようですが、信仰的には拙い王でした。これに従わない道を、オバドヤは歩きます。だからこそ神の人エリヤに会えたのです。世とは別の道で、人は神の人に出会います。どこにいるのかとやがて問われるエリヤも、今はここに確かにいるのです。


Takapan
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