御子イエスと永遠の命

チア・シード

ヨハネ一5:10-12   


法は、複数の証人によって運用されるのでした。神すら三つの証人をもたらしている、とここでは見ています。霊と水と血とです(5:8)。この神の証しを受け容れるということが、神を信じる者の条件です。神はイエス・キリストを通じて、神の愛と救いの真実を、人に対して示しています。イエスの真実を信じる人は、神を真実な者として認めます。
 
それが、神を信じている、ということになります。逆に言えば「神を信じない人は、神を偽り者として」いるわけです。神の証拠を否み、神の証人であることを認めないからです。御子イエスは蘇ったではありませんか。イエスはすでに永遠の命の中にあるではありませんか。そして、イエスを信じる者にも、その永遠の命を与えているではありませんか。
 
これが、神がこの世界に現した、神の真実です。神の法に則った証拠です。ヨハネの筆致は謎めいています。今の時代、異なる時代の私たちだからこそ、これが分からないのでしょうか。ミステリーなのでしょうか。それとも、やはりヨハネは特別に幻めいたことを言っていると、誰もが思うのでしょうか。「御子を持つ」とは何のことなのでしょうか。
 
信じるということでしょうか。しかし、待つことにより、「命を持って」いることになると言います。ヨハネ伝が、永遠の命を一つの大きなテーマとしていたことは間違いありません。手紙のヨハネ書も、同じ文化の中にあります。ヨハネ伝を標準として成り立っています。「御子を信じる者が一人の滅びないで永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)の言葉です。
 
そのために、キリストが世にもたらされました。神は世を愛されました。「御子を信じる者」こそ「御子を持つ人」であることは確実です。だからこそ「命を持って」いる、と言えるわけです。命が与えられているからです。霊と水と血の三つの証しが、すべてイエスに集約されました。このイエスを、私たちは信じているのです。


Takapan
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