主の晩餐へ至らぬころ
チア・シード
コリント一11:17-22
11章の後半は「主の晩餐」について、パウロが説明をしている場面です。その本質を説いているのは、23節以降です。この17節からは、主の晩餐について実のところ何も分かっていない、コリント教会の現状をたたき伏せるような調子であり、その有様について、どう改善すればよいかが、27節以降に書かれていると見るべきでしょう。
いまはその呆れた部分のみを見ることにします。これは、あまり取り上げられない方法でしょう。分かっていない様子だけを検討して、何の得になるのでしょうか。「私はあなたがたを褒めるわけにはいきません」と始まり、同じことで結ぶ段落です。教会で理想とすべき聖餐式そのものがここに描かれているというわけではありません。
が、この後に記されるパウロの聖餐の方法は、いまなお教会で保ち続けられていて、七つの秘蹟のうちプロテスタントも残さざるを得ませんでした。信仰の柱たるものです。これこそが、キリスト教信仰を伝え続けた要なのです。共に食す、それは人々の結束の結び目となります。命を支える食が共通であることの意味は絶大です。
しかし、まだ初代の教会でのことです。もちろん新約聖書はありません。パウロの発言に権威があるというわけでもありません。パウロが何かカッカきていても、いったい何を怒っているのか分からない、というのが正直なところだったのではないでしょうか。手紙の最初で上げていた分裂騒ぎについてはその後もパウロは非難しています
それでも「分派争いも必要でしょう」などと、そこだけ取り出せば誤解を与えるような際どい皮肉をも加えながら、パウロは「主の晩餐」が特別なものであるとの認識へと誘ってゆきます。では、ここでの批判はどういうことだったのでしょうか。正確には分かりませんが、とにかくまだ教義なるものがはっきり立てられていなかった頃のことでした。
だから、日常の習慣に基づく思い込みや常識が展開されていたのではないでしょうか。つまり、金持ちと庶民とが共に食事をするなど考えられないのであり、その座席にも格差があって当然な社会だったはずです。結果、貧しい人々を見下して馬鹿にするようなことも普通に起こり得たわけです。そんな風景が、私には垣間見えるような気がしてなりません。