テロ事件に寄せて

2001年9月

 9月、悲しい事件が、アメリカで起こりました。関係の方々に、深い哀悼の意を表したいと思います。

 世界の図式も、ずいぶん変わりました。一昔前までは、東西の対立が世界の危機を呼ぶと思われていました。アメリカとソ連が今にも戦争を起こしそうなときもありました。それは、主義・イデオロギーの対立によるものでした。

 今や、アメリカとロシアは共に世界の秩序を守ろうとする仲間のようにさえ見えます。逆に、アメリカとアラブの対立が際だってきました。

 たかぱんには、この状況から、 イスラエル が世界平和の中心になってきつつあるように思われてなりません。

 アメリカはイスラエルを支持し、アラブはそれが気に入らない。パレスチナ問題にしても、イスラム諸国に巨大帝国アメリカが干渉・侵入してくることだととらえているのでしょう。

 今後の世界平和を考えるにあたっては、しばらくはこの中東問題を中心において考えなければならなくなるのではないでしょうか。

パンダ

 聖書の言葉は、人の心を洗い流す力をもっていて、慰められることが多いと言われます。実際、そうだと思うし、たかぱんも、そうやって「救われた」という思いを抱いたのです。

 けれども聖書の知恵は、生活の上の知恵にとどまりません。イスラエル民族が、自国を失い、ちりぢりになったとしても、いつか、いつか必ず神によって集められ、神と共に過ごす時代を迎えることができる、と聖書はイスラエルの民を慰めています。それは、旧約聖書の後半部のほとんどがそうだと言ってもよいし、新約聖書にも、その「イスラエル民族」を「イエスを救い主だと信じる人々」と呼びかえただけで、視点はあまり変わっていないように見えます。

 聖書はこう言います。


     戦争の騒ぎや
     戦争のうわさを聞いても、
     慌ててはいけない。
     そういうことは起こるに決まっているが、
     まだ世の終わりではない。
     ……あなたがたは、自分のことに気をつけていなさい。
     ……最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
         (マルコによる福音書13:7,9,13/新共同訳)

 この発言の直後、イエスはユダに裏切られ、当局に逮捕され、十字架刑に処せられます。弟子たちは、一度はイエスを見捨てて逃げますが、その後、最後まで耐え忍ぶ者に変えられていきます。イエスの弟子だというだけで摘発され、命が奪われかねない危険な状況の中で、彼らはどんな毎日を送っていたことでしょう……。

 聖書に限らず、いくらかの想像力をもって読めば、実り豊かな読み方ができる書物がたくさんあります。おとなも、子どもも、そうした想像力を失いたくないもの。たかぱんは、切にそう思います。


Takapan
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