虐げられる者と虐げる者

2004年11月


 論理で話をしているようで、同じことを言うだけで、ある人には厳しく、ある人にはそうでもないということがあります。
 人間は平等だ。だから一人から十万円を税金として取ろう。
 これは論理的ですが、全財産を奪われる人がいる一方で、ほとんど痛みを感じない人もいることになります。
 
 同じ発言をしても、ある人は必死の叫びであり、ある人は何の気のない放言であったりします。
 発言でなしに、行為でそうする場合もあります。
 後者が、前者の叫びを顧みず前者にとってダメージになることを平気で行うことを、「虐げる」と言います。
 
 イエスは、政治的に危険分子だと見られたために、死刑に処せられた、という見方があります。それは、ユダヤ教の側から宗教的に危険だということと重ね合わされ、政治的に処刑されたという意味にもなるでしょう。
 
 イスラエル民族自身、東西の交通路の要所に住まう者として、大国の政策に翻弄され、捕囚などの憂き目に遭ってきました。
 そんな中で、たった今もローマの属国として、いわば虐げられているような立場でありながら、その中のエリート集団は、イエスの動きを不穏として抹殺しようとしたのです。
 虐げられている者が、虐げる者と変わる一つの例を見ます。
 
 しかし、今挙げたように、イスラエル民族自身、虐げられる側の立場の歩みを強いられてきておりました。
 詩編は、イスラエルの神に対する、切実な叫びで満ちています。もはやそれは、引用の域を超えてきます。なにしろ、150編の詩編全体がそのような願いなのですから。
 詩編は繰り返します。圧迫をかけてくる輩のことを、「神に逆らう者」「罪ある者」「傲慢な者」「わたしを苦しめる者」「悪人」「悪を行う者」「敵」「異邦の民」と、最初の10ほどの詩編を開いただけで、目に入ってきます。
 それに対して、自らのことは、「虐げられている人」「貧しい人」「乏しい人」「不運な人」「御名を知る人」「みなしご」などと称して、神はこうした者の叫びを聞き入れてくださる、という信仰を告白しています。12編には、「主の慈しみに生きる人」「虐げに苦しむ者」「呻いている貧しい者」と記されており、自分たちのことをどう捉えているかがコンパクトに表現されています。
 
 悪者に対しては、徹底的に復讐をするように、神に願っています。滅ぼしてくれと叫びます。
 どうかすると、こうした激しい口調のことを、日本人は嫌い、だから荒野の宗教は過激で暴力的だ、と非難します。
 私もまた、こうした記述のゆえに、暴力が肯定されるとは思いません。第一、それは神への祈りなのであり、自分たち人間が暴力で復讐してよい、というふうには、どうやっても読めませんから、詩編そのものも、ちっとも暴力的ではないのです。
 
 イスラムも、こうした旧約聖書は大切な背景の一つです。アブラハムの子孫を名乗るイスラムは、この唯一なる神の下に、自らの信仰を生活のすべてとして行動します。
 もしかすると、テロリストたちは、こうしたことを自らの手で実行しようとしている、とも考えられるかもしれません。イラクをはじめ、イスラム諸国は、もういい加減アメリカに叩かれて、自分たちのことを「虐げられている人」だと考えているのでしょう。2004年の攻撃で、イラクもぐちゃぐちゃにされてしまいました。それほどまでにされることをしているとは言い難い状況で。
 彼らにしてみれば、アメリカは2001年のテロでも、「たかが」二つのビルを失ったに過ぎません(念のため、私がそう思っているという意味ではありません。同胞の犠牲を含むこの攻撃について記すというのは、断腸の思いが致します)。しかし、その後イラク全体をめちゃくちゃにした。そのアメリカが、今度は人道ぶって、イラクの復興のために指導しようなどと合唱し、善人の顔をしている。そこにある対話は、対等ではなくなっています。アメリカの一方的な論理の遂行があるばかりです。そこに「虐げる者」を見ないで、どこが聖典だという見方なのかもしれません。
 
 あくまで想像ですが。
 
 意見の対立があるとき、それは平等あるいは対等とは言えない場合があります。
 一方が他方を虐げているという場合、その虐げに対して異議を唱える、虐げられる側の声も、しばしば押し潰されます。
 日本人には、それまでごちゃごちゃ意見を述べていたとしても、いざ物事が決定すれば結果に従う習性がある、というふうに考えている人がいますが、その人は、自分が虐げている者の側にいるために、虐げられている人々の哀しみや叫びが、分からないのかもしれません。
 
 そして、虐げることを漢語では「虐待」と呼ぶこともできます。親が子を虐待しているのは、傍から見ればとんでもないことと目に映りますが、私たちもまた、誰かを虐待しているのではないか、という眼差しをもつことが、もっと必要なのではないでしょうか。



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