聖書の「救い」

2003年4月


 大学時代、一人で下宿していた私のところへ、二人組の女性が時々訪ねてきました。

 創価学会の勧誘です。

 ひところの強引な伝道の時代は過ぎていたとはいえ、地域に根ざして一軒一軒訪問する方法は、創価学会の得意とするところでした。

 もちろん、容易には従えません。当時キリスト教を信仰していたわけでなく、哲学に活路を求めていた私は、宗教にのめりこむつもりもありませんでしたし、以前住んでいた家の隣でうるさく聞こえていた「南無妙法蓮華経」の連呼は不愉快でしたので、何度も断りました。

 しかし、マニュアルにあるのかどうか、かなり理論的に突いてくるとなると、若い私は、つい、「哲学では……」と対抗したくなったものです。若い女性二人との舌戦では負ける気がしませんでしたが、何度も来て顔なじみに近くなると、ある日、集会についていかざるをえないような状況になってしまいました。


 人数はそう多くないのですが、なにしろあの、圧倒するような、題目の連呼。私はそばで傍観しているだけです。

 その後、リーダー格の男性が私に話をしに来ます。哲学を学んでいるという私の言葉を、うんうんとうなずきながら聞く姿勢は、それほど好感を持てるものではないにしろ、いきなり嫌悪感を抱くというものでもありませんでした。


 何をどう話したのかは、まるで覚えていませんが、その男性の言葉で、唯一覚えている言葉があります。

「今、崖から飛び降りようとしている人がいたとします。そこで哲学が、その人を救うために役に立ちますか?」

 私はたぶん、動揺したのだと思います。あたふたと弁論しようとして、戸惑ったのでしょう。虚を突かれたような質問でもあり、哲学には限界がある、とでも感じた瞬間だったのかもしれません。

 その説得に負けず、以後二度と創価学会の集会には足を向けませんでした。私の中では、「では創価学会はその人を救えるのか?」という、素朴な疑問も拭えなかったからです。どっちにしろ、理屈のようでもあり理屈でもないそのやり方は、人を救うことはできないだろう――そのような、変な確信だけが、私の中に留まり続けました。

パンダ

 創価学会を仏教と呼ぶのには抵抗があります。また、日本仏教も、釈迦が悟った仏教とはまたかなり異質なものであるのだろうと思います。私自身は、釈迦を尊敬しているし、その知恵には大いに耳を傾けるものがあると考えています。

 ただ、それはすぐれた「知恵」の範囲に留まるのであって、「救い」とは別の次元の話ではないのか、と思えてなりません。

 ――仏教は、すぐれた知恵だが、救いではない。

 その命題は、事実に近いと思うし、場合によっては、批判のようになってしまうものでしょう。

 ――仮に仏教が救いを説いたとしても、知恵の世界におけるもの、つまり「観念的」な救いから出られないものである。

 歴史の中で救いがどう実現されるのかという視野がない以上、そのように指摘することは、難しいことではありません。

パンダ

 救いとは、歴史の中で現実にもたらされる性質のものでなければならない。

 だからキリスト教は……。

 キリスト教における模範解答は、きっとあるでしょう。歴史の中に現れたイエスがその根拠となるし、だからほんとうに神さまは、救うのだ、と。

 けれどもそれさえ、信じようとしなければ無力なもの。信じない魂には何の効力もないかもしれないし、信じていると口では言っても、依然自分にとってはどこか違うと感じている魂には、やはりその救いは実感を伴わないものとなってしまいます。

 救いとは何なのでしょう。聖書は何と語っているでしょうか。

パンダ

 旧約聖書では、まずモーセ五書において、「エジプトからの救い」というとらえ方がなされています。次に、カナンの地の原住民たちから守られるという意味での救いが続き、ダビデがサウルから逃れるときに、多く詩の中に使われるようになります。後に、歴史書や預言書の中では、専らアッシリアやバビロニア帝国の手からの救いが祈られるようになりました。ここまでは、極めて具体的な救いが取り扱われています。

 それがヨブ記や詩篇になると、もっとどこか抽象的な、神による救いという概念が現れてきます。

 新約聖書では、四福音書にて思いの外「救い」という言葉が語られていないことにまず驚きます。ルカによる福音書で、イエス誕生のときに、救いを見たとシメオンが盛んに繰り返したりするゆえに何度か現れますが、イエスの言葉そのものの中には、ひじょうに少ないのです。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」というフレーズでマタイに一度(16:25)、マルコにもそれと並行するものとして一度(8:35)、ルカでも、誕生のときのものを覗けば、同様の箇所が一度(9:24)あるほかは、例のザアカイを慰める言葉「今日、救いがこの家を訪れた」に一度(19:9)あるに過ぎません。ヨハネにしても、サマリアの女に「救いはユダヤ人から来る」(4:22)と語るほかは、イエスの言葉としてはないのです。

 その後、パウロや初代教会の重鎮たちは、「救い」という言葉を盛んに使います。教義化する段階では、その根拠付けが必要だったのでしょう。

 今のは「救い」という言葉についてでした。「救う」を検索しましても、似た傾向が現れます。福音書では、「命を救う」ために人の子が来たのだというフレーズが目立ちます。しかし、ほんの数えるほどの使用例しかありません。

 また「救われる」という受け身の形の言葉になると、もう少し多くなるようです。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」という意味の言葉が共観福音書の中心で、ヨハネによる福音書では、御子により世が救われるという思想がうかがえます。神学的なまとめが、さまざまな書簡に多いことは先ほどと同じです。

パンダ

 教会では盛んに「救い」を言います。しかし、それは福音書というより、むしろ教会神学、パウロやペトロなどの弟子たちの遺した書簡にうかがえる言葉であると言うべきなのかもしれません。

 その代わり共観福音書に目立つ言葉は「信仰」です。30箇所あります。ただ、驚くことに、ヨハネによる福音書には「信仰」という言葉が出てきません。日本語訳のいたずらかもしれませんが、「信じる」という動詞の形では、ヨハネ伝では85回を下らないだけ使われています。これは、共観福音書を併せた数よりも遥かに多いものです。

 救いが信仰によってもたらされるとしても、ヨハネ伝では、ダイナミックに、信じる行為の中に捉えられているようです。

 絶望して死を選ぼうとしている人に対して、イエスは度々その命を救うわざをダイナミックに示しました。その意味でも、昔聞いたあの、人が本当に救えるかという問いに対しても、イエスの言葉なら、信じることによって力を与えることができる、と答えたいように思います。

 さらに言えば、「救い」は「信」を経て、「愛」で初めて全うされる、というふうにつながっていく、と私は思い描いています。その辺りのことは、また改めて綴ることに致しましょう。



Takapan
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