ゴーストだの亡霊だのといって、ホラー映画に人気が集まることがあります。近頃は、最新のハイテク機器を通じて幽霊が現れるといった物語が話題に上ることもあるようです。
大人たちが、そうした怪談を喜んで求めています。まるで、幼い頃に怖がった様々な出来事を懐かしむかのように……。
私が幼いとき、暗闇がとても怖く感じられました。
蛍光灯のオレンジ色のランプなしでは、私は寝ることができませんでした。それでも、天井の節穴の形が、人の目のように見えてしまうことがあります。あれは見ちゃいけない、と自分に向かって説明すればするほど、そこを見てしまいます。そうして、布団を思い切り深く被るのです。
そもそも、私がたいそうな恐がりだったと言うこともできるでしょう。
叔父が博多織を営んでいた関係で、博多織の飾り物が、我が家にも額に入れられて飾られていました。東海道五十三次の箱根の図柄のものがありました。その箱根の山肌に、ちょうど妖怪の目や鼻や口のように見えるものがあり、柳の木が、おいでおいでをしている幽霊の手のように見えて仕方がありません。
もうそれだけで私はパニックです。狭い家で床の間に寝ていましたから、両親が休む前の一人ぼっちの就寝時間、その箱根の妖怪と一人で対峙しなければなりません。
トイレは襖のすぐ外でしたが、オシッコに行きたくなったときの、怖いこと、怖いこと……。
そんなとき、私は叫ぶのです。
「ママ……ちょっと、来て……」
子ども心に、そうした暗闇の世界には、たくさんの「おばけ」がいました。
ゲゲゲの鬼太郎のマンガも見ていましたが、その妖怪ともどうやら違います。オバケのQ太郎とも全然違います。何やら得体の知れない、怖いおばけが、私の「世界」には確かにいました。
そのくせ、恐怖の心霊写真とか何とかいう本を手に入れて、怖々見ていたりするものですから、夜の恐怖はなおさらです。
時にその「おばけ」は、恐竜の姿になって、のっしのっしと私に迫ってきたりしました。しかし、その恐竜たちは、この地球上から滅んでしまいました。あの恐竜たちは、どこへ行ったのだろう。誰も、いなくなってしまった。そんなふうに考えるとき、私は、「死」について強烈な自覚をもつことになりました。
死ぬとは、息が止まることだと考えてみました。それで、息を止めてみました。でも、ぷはっとすぐに息をしてしまいます。
死ぬとは、目を閉じたままだと考えてみました。それで、力一杯目を閉じました。すると、瞼の裏側の欠陥が見えるように気がしたり、星のようなものがじんわりと揺れているように見えたりしました。しかし、それも、私が生きているゆえに「見える」ものではないかという気がしてきました。
言葉にできない恐怖が私を襲い、震えました。
小学校二年生くらいのことだったと記憶しています。
私の母の実家は禅寺でした。祖父は、習字の先生もしていたほどで、達筆でした。その素晴らしい墨の字で、本堂には、日本の仏教宗派開祖の一覧表が書いて貼られてありました。歴史を習う遥か以前から、私は鎌倉仏教や禅宗について、知っていたことになります。
年に何度かそこを訪れるのですが、行く途中で、山道をくねくねと曲がる車の中で、私は必ず酔っていました。車酔いです。姉たちは、遠くを見なさいと叫び続けたり、紙袋を手に私の横で待機するなどしていました。しかし私はと言えば、だんだん唾がねっとりとしてきて、「くるぞ、くるぞ」と予感しているうちに、一気にゲゲーッと吐いてしまうのでした。
疲れ果ててその寺に着くのですが、本堂もさることながら、トイレがまた怖い。線香臭い間を通り過ぎて一番奥の雪隠まで行くのは、たまらなく恐ろしいことでした。
かといって、それを避ければ、土間状の玄関を一旦外に出て、鐘突き台の本のところにある、外の便所へ行かなければなりません。
もう、夜になると、パニックでした。
ぼっちゃん式の雪隠です。風がひゅうひゅう吹きすさぶ中、穴の下から、白い手がにゅうっと出てこないとも、限らないではありませんか。だって、周りは骨が沢山埋まっている墓場なのですよ。臆病な小学校低学年の私には、あまりに酷な環境でした。
不思議なことですが、そんな私の臆病が変わっていったのは、祖父の死の後でした。
具合の悪い祖父のもとへ、春休みに泊まりにいっていたのです。そのとき、祖父の死に直面しました。枕元の呼び鈴が鳴りつつばたりと止んだ、それで皆が慌てて床へ向かった、私が見たのは、動かなくなった祖父でした。指圧などをよくしていたOさんがその場にいたので、蘇生を試みていたのですが、もう祖父は息を吹き返しはしませんでした。
祖父の骨も拾いました。私は、そういう場にいることができて、かけがえのない体験をしました。
そうなると、ますます死を恐れるようになるものかどうか――私の場合は、何か一つ経験してよかったのかもしれません。それ以後、それまでのようには、暗闇を怖がらなくなりました。
何やら得体の知れない恐怖ではなくて、得体を知ったゆえの恐怖に、変貌したのではないかとも思われます。
果たして、今の子どもたちは、どんなふうに闇や死を感じていることでしょう。
命はリセットされるとか、生き返るとか信じている子が多くなった、などという調査が、センセーショナルに新聞で報道されました。しかし、調査というものは、その調査の仕方、たとえば質問の出し方ひとつで反応が変わってくるものですし、同じ調査が継続的に行われているのでない限り、変化を捉えることはしにくいものです。子どもたちも、どこまで本気でそう考えているのかという内面については、パーセントの数字に現れるのかどうかは疑問です。
それでも、体験的に私とは違うのではないかと思われるフシは、あります。
それは、暗闇の存在についてです。
夜になると店という店が閉まり、日が暮れた後に外出するという機会がまるでなかった私の頃と比べ、夜の町を親に連れられたり、塾通いで遅くまで町を歩いたり、コンビニの明々とした中に立ち寄りつつ夜を過ごす子どもたちは、真の闇を感じることすら、少なくなりました。
私は夜や闇に対して「恐がり」でしたが、今そんな恐がりは少数派です。不審者や犯罪者の影に怯えることはあっても、幽霊やおばけが出ないかと怖がっていることは少ないのではないでしょうか。
得体の知れない夜を恐れる必要がなくなった世界に、子どもたちはいます。
テレビを遅くまで見ている子もいます。11時になったらお色気番組が始まり、おとなのほかは誰もテレビの前にいなかった時代とは、異なるのです。
ところが、人は「闇」の概念をもっています。真っ暗で何も見えないところですが、それはしばしば、自分の現状に重ね合わされ、自分の中の隠したいものを、闇の中にせめて還元しなければという気持ちになることもあります。
たとえば、性にまつわることは、以前は隠されたところ、表に出ないところにありました。そこに何か後ろめたいものを感じたりしながら、大人へなっていくものでした。
秘密めいたものが、どんどんなくなっていきます。そんな中で思春期を迎える子どもたちが、どんなふうに感じているのか、やはり私には分からない部分があります。
ともかく、子どもたちにとっての「おばけ」がどうあるのか、私が気になるのは間違いありません。おばけが否定されるところに、悪魔がリアリティをもつのかどうか。そして、神という存在がどのように響くのか、また違ってくるように思われるからです。
とはいえ、聖書を綴った人が、神とか悪魔とかをどのようにイメージしていたのか、私たちが完全に知っているわけでもありません。私たちは、何か「神」という特定の対象を探したり、認識したりしているわけではないのです。
恵みとして与えられることは、神との出会いなのです。