邪悪な心と対決していく誓い

2003年7月

長崎市の種元駿ちゃんが殺害された同市万才町の立体駐車場脇に16日、「中学教諭」を名乗る匿名の人物からこんなメッセージが置かれていました。(共同通信・西日本新聞)


 駿ちゃん
 痛かったやろう 怖かったやろう ごめんね 僕ら大人がこんだけまわりにいて、助けてあげられなくて 本当にごめんね 前の長崎は こんな感じじゃなかった せまい街で、みんなの目が顔が、お互いに見えとった いつの間にか こがんなってしまっとったとやね
 ごめんね
 私は中学校の教師をしています 中学の教師として 本当に申し訳ない 今まで 僕らは何を生徒に教えてきたつもりやったとやろう
 駿くんのことを 生徒と一緒に語り合いました そして、このような「命」を「命」と思わない心、自分自身の中にもあるかもしれない邪悪な心と対決していく誓いを交わしました
 私が教師である限り、人間である限り、長崎市民である限り、それを続けます。たとえ何年たっても、近くに来たときには、君に会いに来ます
 お祈りにきます
 だから駿ちゃん ごめんな 本当に ごめんな

パンダ

 事件は、7月1日夜、長崎市北陽町の4歳の駿ちゃんが誘拐され殺害されたもので、7月9日、同市内の中学一年の男子生徒が補導されるという形で解決(と言えるのかどうかは分かりませんが)されるに至りました。とくに犯行が12歳の少年によるものであったという点で、多くの関心や議論を呼びました。

 このメッセージは、地元の言葉で書かれているだけに、その心が切なく伝わってきます。九州の言葉の分かりにくい方には、どのように響くが分かりませんが。

 たぶん、ほんとうに中学教師なのでしょう。そして、クリスチャンかもしれないと想像します。「お祈りにきます」という言葉が自然と書かれてあるからです。また、「自分自身の中にもあるかもしれない邪悪な心」という言葉も、その根拠です。

パンダ

 少年を責めるのは簡単です。少年の親を打ち首にしたくてたまらない政治家もいました。被害者の関係者のお気持ちとしてそれは当然至極のことと理解しますが、政治家の語ることではありません。意図せずして罪を犯してしまった国民を、何らかの形で救うことを目指すのが、国民を守る政治家の仕事でしょう。それに、政治家自身、自分は何一つ悪いことをしたことがないとでも言いたげな態度であるのが、厚顔無恥あるいは確信犯的な印象を与えてしまうことになります。

 4歳の子どもを夜の店で自由にさせた、被害者の保護者も、実は非難を浴びています。テレビ局などがそのように語るはずはありませんが、ネットの中では自由に発言されています。そんなことは言うべきではない(からこそ一般放送では語られない)のですが、そういう意見はありうるだろうとは思います。

 どちらの意見にも共通していることがあります。それは、どちらも「他人事」として非難しているという点です。自分はあくまでのこれらの事件の「外」にいて、関係ない場所から批評しているということです。

 ところが、このメッセージを書いた中学教師は、どうやら違うようです。

 地元であるだけに、よけいに切実に捉えているのでしょうが、あくまでも自分の問題として意識しています。それが一番強く現れているのが、「自分自身の中にもあるかもしれない邪悪な心」という表現です。

パンダ

 聖書のローマ書(3章)は、詩篇を引用して語ります。

「正しい者はいない。一人もいない」
「善を行う者はいない。ただの一人もいない」

 性悪説だと人間が卑屈になる、という意見があります。しかし、性善説に立ち、人間が本来よいものであるというぬるま湯に浸かると、これでいいのだ、と自己陶酔するのが人間の弱さです。人間はもともと善いものだ、と安心するのは、三権が分立しない政治のようです。腐敗を監視するものがないので、緩んでいってしまうのです。

 なにも、聖書を信じろと迫るつもりはありませんが、自分自身の中にも邪悪な心があるかもしれない、と一歩立ち止まることは必要ではないでしょうか。自分は100%清廉潔白だという本音で他人を非難することほど、正義から遠いものはないのです。

パンダ

 今日17日、次のようなニュースも飛び込んできました。



キレるのは誰?試験で問う 福井の中学、回答読み上げ

 長崎市の種元駿ちゃん誘拐殺人事件で中学1年の少年が補導されたことを受け、福井市立藤島中学校の男性教諭(41)が、社会科の試験で「キレやすいのは誰か」と出題し、回答に書かれた生徒の名前を読み上げていたことが17日、分かった。
 同市教育委員会によると、男性教諭は中1少年が補導された翌日の10日、担任のクラスなど3年生の2クラス、計79人の生徒に対し、授業ごとに実施している小テストの中で「補導された少年はおとなしくて成績が良く、キレやすい。このクラスにそんな子はいるか」と口頭で質問し、生徒に名前を書かせた。
 教諭はクラス全員の前で、名前を挙げられた生徒のうち16人の名前を読み上げた。数人の生徒は何も書かなかった。
 男性教諭は「軽い気持ちで出題してしまった。反省している」と話しているという。(共同通信)

「軽い気持ち」だそうです。自分の中に邪悪な心など全くないと考えている人が、こんなことをし、こんなコメントをします。自分で気づいていないだけに、実に悲しい思いがします。


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