当たり前

2005年5月

 岩波新書の『ことばの由来』という本を読んだとき、もうちょっと早く読めばよかったと後悔しました。

 というのは、少し前に、教会学校のプログラムで、ぶどう園の労働者について一緒に考えていたからです。

 上の本は、日本語についての話です。その中で、「当然」という言葉についての説明がなされていました。かなり昔には「当前」と書いたそうです。これを訓読みした言葉が今も残って使われています。「当たり前」です。これは、一人に分配される報酬を表すそうです。一人分、一人に当たる分としての「一人前」のようなものです。これだけもらえるのは、当たり前だというわけでしょう。

 なんだ、ぶどう園の労働者の譬えは、日本人も昔から考えていたことと直結するではありませんか。朝から一日働いた人も、夕方から1時間だけ働いた人も、約束された報酬をもらうという意味では「当然」なのでした。夕方からの人が1日分の賃金をもらえるのを見て、朝から働いていた者が、もっともらえると錯覚して不満をもったというこの譬えは、朝からの人々も、「当たり前」の賃金だったではないか、という指摘で終わります。

 日本語の意味をよく考えていくとき、やはり人間の思考方法の中には、神の息が吹きかかっているものだと、つくづく感じたのでした。



Takapan
聖書ウォッチングにもどります

たかぱんワイドのトップページにもどります