たかぱんワイド・幸せのバイブル
聖書が伝える幸せのメッセージをともに

■ お願いしましょう


祈るという言葉には、どうしても「お願い」の意味がこめられることでしょう。「お願い」のほかに祈りってあるの? と訊かれることも予想されます。
 
もちろん、願うのも結構。それでは何を願いましょうか。宝物? 世界平和? もちろん、何でもどうぞ。
 
「何を祈ってもいいのです」と教えてくれた人生の先輩がいました。宝くじで当たりますように、と祈っても何の問題もない、と笑顔で語るのでした。但し、それを結果としてどうするか、は神さまのほうが決めますからね、ということでした。人間が、あれをしなければ、これをしてはいけない、と自分で狭い枠を決めてしまうことがなんだかアホらしくなるほど、鮮やかな切り口でした。
 
癌が分かり、ホスピスで最期の時を迎えました。そのときには別の教会にいた私たちを、その人は笑顔で迎えてくれました。そしてそれまで知っている姿と何も変わらないままに、笑顔で話し、祈るひとときをもちました。その後、残された地上での時間は、それほど長くはありませんでした。
 
病気が治ることを、願い求めることができるでしょうか。なんだか福音書の奇蹟のようなことが起こるように、との強い祈りが、いまはあまり聞かれません。医学の知識や医師の診断、病理の状態が見えることによって、「癒しを!」という祈りが空々しくなるのでしょうか。
 
でも、願いましょうよ。望みましょうよ。自分の祈りが奇蹟を起こすことも含めて祈りましょうよ。但し、それを結果としてどうするか、は神さまのほうが決めるだけです。その結果を、知ることもなく私たちはこの世を去るかもしれませんが、後は神さまがお決めになります。その結果を希望して、能天気に喜んでいる、それくらい神を信頼していられたら、幸せというものなんじゃないでしょうか。

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